仕事を変革する<計画とマネジメント>の技術ノート

さようなら、イタリア

(16) さようなら、イタリア

朝焼けのタオルミナ

朝焼けのタオルミーナを出発したバスは、いくつもの街を通り抜けながらカターニャの空港まで行く。ここで再びローマ行きの飛行機に乗り込むのだ。

近代的だが、ちっとも機能的とはいえない空港でふと思った。ゆうべの小さな食堂といい、ホテルといい、イタリア人というのは家族経営の仕事に向いている。しかし観光案内やバス会社の対応を見ると、猫とイタリア人は会社にぜんぜん向いていないといいたくなる。少なくとも誰か監督が目を光らせていないかぎり、手を抜くことばかりを考えているようだが、家族経営となると見違えるように良く働く。だからこの国では衣服製造や革製品・工芸・食品など職人仕事が優れているのだ。だがこうした資質は、企業組織が幅を利かす産業革命以後には、あまり重宝とはいえない。

ホテルであったアメリカ婦人が言っていた。
「夫がシチリア系移民の子だから、興味があって夫婦できてみたの。でも貧乏から脱出するためアメリカにきたって話だったけど、どこが貧乏どころか、みんな毛皮を着て歩いているじゃない。裕福そうに見えるわ」

まあ、今どきシチリアに絵に描いたような貧困を探すのは、ローマに「自転車泥棒」の父子を探すようなものだ。「貧しい南」という神話。無論シチリア州の経済が中央政府の援助支援に多くを依存しているのは確かだろうと思う。しかし、北イタリアで躍進中の新右翼レガ・ノルド(「北方同盟」)の南北分離論の主張などは、早い話が「貧乏な奴は同胞じゃない。」というだけのもので、どうにも可愛気がない。だって南イタリアやシチリアに住んでいるのはまぎれもないイタリア人で、イタリア語を話し、同じ宗教を信じているのだ。対岸の火事ユーゴの民族抗争とはわけが違う。

とはいえ、貧困神話のおかげでシチリアには買い物の観光客がまだ余り侵略してこない。街で日本人が珍しがられたのもめったにないことだ。ローマの目抜き通りなんて銀座さながら、可愛くない日本のOL達がうじゃうじゃ歩いていて、ほとんど悪夢のようだった。季節によってはドイツ人・アメリカ人・オランダ人・フランス人などの、可愛くない産業革命人たちもどっと押し寄せるのだろう。これも悪夢だ(^^;)。

だってやっぱりイタリアが良いのはイタリア人がいるからだよ。景色がいい、気候がいい、食べ物がいい、でもそれだけじゃ魅力の大きな部分が欠けている。あの、抜け目ないくせにお人好しで、中庸よりもすぐ極端に走り、精神的高潔と肉体的官能を同時に追求したがるお馬鹿さん達がいなかったら、美も歴史も遺跡も何の価値があるだろう。

イタロ・カルヴィーノの「イタリア民話集」に『賢女カテリーナ』というシチリアの話が収録されている。パレルモの王子が賢女カテリーナの学校に入るが、炭焼きの子と同席で、質問に答えられないとピシリとやられる。そこで彼は父王に頼んでカテリーナを嫁にとり、彼女を宮殿の底に閉じこめておいて、自分はナポリやジェノヴァやヴェネツィアに気晴らしの旅行に出かけるのだ。しかしなぜかそこには行く先々でカテリーナにそっくりな女が居り、彼は毎回惚れては結婚を申し込む。そして最後にパレルモに帰還してみると・・・という話だ。この単純で浮気性で惚れっぽいくせに、同じ女とばかり結婚してしまう馬鹿な男の話が大好きで、ぼくはこれをもとに小さな戯曲を書いたことがある。堅苦しい自己規制ばかりの日本の毎日の中で、こういう救いがたいイタリア的楽天性にいつも強く惹かれるのだ。

ローマではトレビの泉に、みんながやるようにコインを投げて帰ってきた。いつかわからないけれど、またもう一度行きたい。今度は大きくなった子供も連れて、また行きたい。
世の中の心配事が、全て杞憂に終わるならこれほどめでたい話はない。世の悩み事が全て美しく収まるなら日々の暮らしも楽だろう。

でも、そうでないのなら、人生にはイタリアが必要なのだ。

タオルミナで、妻と

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